川除(かわよけ)遺跡・下郡山(しもこおりやま)遺跡の発掘調査
更新日:2017年4月17日
文化財発掘調査情報
川除(かわよけ)遺跡・下郡山(しもこおりやま)遺跡の発掘調査
文化町溝下の川除遺跡と下郡山遺跡では、出水酒造株式会社出水工場建設に伴う全面発掘調査を実施しました。現地での発掘調査は平成24年7月から9月末日まで行われました。
川除遺跡から谷城跡方面
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川除遺跡では、自然の石を集めた集石遺構(しゅうせきいこう)が出土しているほか、縄文時代早期(約8,000年前)から中世(約600年前)の遺物が出土しています。 川除遺跡の北側には中世の出水十一ヶ城のひとつである谷城があったと言われています。川除遺跡から出土した中世の遺物はこの谷城跡との関連をうかがわせます。また、古代末(約900年前)の貴重な遺物も見られることから、隣の下郡山遺跡の地名の由来とも考えられる「郡(こおり):役所的な機能の施設があったと推定される地」との関連も推測されます。 |
下郡山遺跡から溝下古墳方面
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下郡山遺跡では、古墳時代(約1,500年前)の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)と思われる遺構が見つかっていて、詳しくこの住居跡を調査しました。また、遺物もこの時代のものを中心に、台付甕(だいつきかめ)、壷(つぼ)、高坏(たかつき)など、いろいろな種類の土器が出土しています。 下郡山遺跡の南側には球磨地方から川内川流域や北薩地方に特徴的な地下式板石積石室(ちかしきいたいしづみせきしつ)がこれまでに8基出土している溝下古墳群があります。 下郡山遺跡では、これらの竪穴住居跡[当時の人々が生活した場所]と、溝下古墳群[権力者が埋葬された場所]との関連が考えられます。 |
発掘調査の様子
遺構の検出 当時の地表面を薄く削る作業で、土の色の違いを見つけます。 |
竪穴住居跡の調査方法 縦横方面にL字形や十字形のあぜを残し、当時の人々が生活していた床の面や、竪穴がどこまで掘られているか、住居跡がどれくらいの大きさかをを調べます。 |
出土遺物(一部です)
内黒土師器(うちぐろはじき)
器の内側にすすのような炭化物を吸着させて水と器に入れたものをしみこみにくくした物です。役所や寺院など特定の機能を持った施設などで使われていた土器です。
青磁(せいじ)
中国からの輸入品です。このほかにも白磁 ( はくじ ) や染付 ( そめつけ ) といった磁器も出土しています。
古銭(こせん)
洪武通宝 ( こうぶつうほう ) と呼ばれる、中国が明(みん)の時代(1368年 - 1644年)に作られたお金です。江戸時代に日本で寛永通宝(かんえいつうほう)が作られ国内で流通するまで大陸から輸入されていました。三枚重なった状態(写真左)で見つかったので、お墓に埋葬されたものとも考えられます。(※右側は拓本を拡大したもの)
お問い合わせ先
- 文化スポーツ課
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出水市緑町1番3号2階
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